読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

監視されているページ

起こったことが登場しない、脳内環境の日記です。

論理は感性を客観視するためのツール

思ったことを忘れないようにするためのブログです。

(というよりは、書くことで同じ事を考えずに済む様にしたい)

そういうブログを何個作ればいいのか自分でもわかりませんが、

1つのところで続けていると、だれかが監視しているという気になってしまうのです。

現実世界の自分の存在感と不釣合いなほど肥大してしまった自意識をどう収めたらいいのか。20年以上生きてきて未だにわからない。

 

 

こういう時間に起きているのもその自意識のせいで、

眠ったら最後、自分が勝手にデジタルに取り込まれて

なめらかさを失って非連続にされてしまうんじゃないかという

馬鹿なことを考えているからです。

 

数年前から、

だれかの電波を受信しているような気がするし

私のような小市民に電波を飛ばすほど暇な方なんているわけがないとも思うし、

結局すべては「自意識過剰」で済む話なので

そろそろ折り合いがつかないかなあ。

 

論理とか感性とか、頭のいい人はよくそういう言葉を使ってきます。

私も、みんなが言っているので、意味がよくわかっていないのに時々使っています。

抽象的なことばを使う人は、尊敬できるし、信用できないと思います。

私と同じレベルにまで降りてくれる気配がないからです。

「君はロジカルだね」、「君の感性はすごいね」、って言われたとして

「それってどういう意味なんですか」と聞きたい。

私には悪気はなくて本当の本当に言葉通りわからないだけですが、

茶化しているように見えると思います。

辞書を引いたからといってその言葉自体を受け止められるかは、少なくとも私にとって別の問題です。

 

論理は、感性という主観的なものを客観的なものにするためのツールにすぎない。

自分の中ではとりあえずそういうことにして、なるべく気にしないようにしています。

(しかしこうして後から考え続けているので、自分の陰湿さに嫌気が指す)

もしこれがそこそこ妥当性のある解釈だとしたら、

普通の人が確認せずとも分かることをわざわざ書いて確かめているので

馬鹿だなあと思います。

そしてこれが大はずれだとしたら

やっぱり自分が馬鹿なだけなので。

 

誰かが私のいる階層まで降りてきて欲しいとずっと思っています。

ときどきそこまで降りてきてくれる人も少しだけいますが

そういう人のことは、本当に信用できます。

生まれつき劣っていることを恨んでいた時期もありますが

劣等感に支えられた自信が持てるようになってきました。

諦念ポジティブを身につけるのがもう少し早ければ、楽だったのかもしれません。